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●ディクシャの杜ニュース第1号(2005年8月27日発行)
■ディクシャ■悟りへの大いなる道
 ディクシャとは頭頂に手を置いて祝福することで、インドでは結婚式、入学・卒業式などの祝賀行事の際に行われる伝統的な儀式です。
 現在、世界各地で行われているディクシャは、人々からカルキと呼称されているアヴァター(インド、アンドラプラディッシュ州在)が人々に悟りを与えるために用いているエネルギー伝授の方法です。
 カルキ・バガヴァンは言います?
*悟りとは苦しみのない状態です。
*悟りは与えられるものです。教え、サーダナ、瞑想等によって得られるものではありません。
 ラマナ・マハリシ(二〇世紀最大のアヴァター。沈黙の聖者と呼ばれる。1879-1950年)が真我について語り出したのはラマナにシヴァが降臨してからのことでした。逆の過程ではありません。したがって、悟りは人間の努力によって得られるものではありません。
 カルキ・バガヴァンはは言います?
 瞑想、サーダナ等によって悟ることも、神を発見することもできません。それはイルュージョン(錯覚)です。なぜならば、私がある限り、私はTrishnaトリシュナー(渇望)そのものであるからです。私がある限り、苦しみが、葛藤が付いて廻ります。
 人間の側では何もすることはありません。頭を差し出すだけです。
 ディクシャは脳の前頭葉と側頭葉を賦活化させ、シナプスの状態を変えることにより悟りを与えます。悟りとは流布されているような霊的次元のものでなく、全き生理学上のものです。
【体験談から】
◆初めてのディクシャ体験でしたが、横になって、マントラが聞こえてきたときから、頭頂部がチリチリとしてきて、 最初のディクシャで、頭からエネルギーが全身駆け巡っているのがわかりました。
 数回目かの時、他の方も体験されてましたが、左胸の辺りにも押されているようなエネルギーを感じました。
 右胸あたりは、朝から締め付けられる感じがあったのですが、それとは別な感覚です。後頭部の右下が頭痛というのかとても圧迫感があり、夜まで続きました。
 今も頭頂部にチリチリ感を感じます。劇的なことはなかったのですが、エネルギーの流れを感じ、マッサージを受けたような心地よい疲れを感じて、気分がリフレッシュしました(Sさん 女性)。
◆ディクシャを受けると、毎回毎回自分のエネルギーがアップしていくのがわかります。二十四年前から瞑想を始めているので、ディクシャを受けるとどんどん瞑想が変化してゆくのがわかります。受けるごとに瞑想が深くなり、至福が増してゆきます。
 不思議なことに、友人やいろいろな人に会って楽しくお話していると、自分からエネルギーが出て行って、訳もなく笑ったりはしゃいだりするようになりました。体験をし尽くせば、すべてが至福になるというカルキの教えが少し実感できるようになった気がしています。
 今、癌の治療中で、化学療法を受けているところですが、人から聞いている副作用の辛さからすると、はるかに軽くすんでいるような気がします。4クールが終わったところで、その元気さは信じられないと病気を良く知る友人から驚かれました(Kさん 女性)。
【基調】
■サムスカーラシュッディ
1真実の自分を見つめる、ありのままの自分を体験する。
2個人の結論付けのパターンを体験する。
*胎内体験=四つのバスケットなどが結論付け=人生のパターンの源泉である。
@努力しなくても成功する。A努力しても失敗する。B努力して成功する。
C何事にも努力しない。D気が変わりやすい。E常にサーカス人生である。などなど。
3誕生時の神との古い契約を破棄し、新しい契約を交わす。
*人間は誕生時、神より3分間自分の人生の映像を見せられ、
納得して(契約を交わして)その通りの人生を送る。
4苦しみからの解放
*悟りとは苦しみのない状態をいう。苦しみを直視して体験する。
*苦しみ=肉体的、物質的苦しみ、心理的苦しみ、精神的苦しみ、スピリチュアルな苦しみ。
*人に与えた苦しみ、人から与えられた苦しみ、苦しみは人と人との関係性から生じます。
*苦しみの海に身を投じ体験してください。人に与えた苦しみを体験することによって自他との境は消滅し、ワンネスとなります。
5潜在意識=無意識層の浄化。
*潜在意識が人生を決定する。マインドは潜在意識に支配されており、人間はマインドを変えることができない。ただマインドを目撃するのみである。
マインドはカルマである。
■チャクラ・ディアーナ。
チャクラを賦活化し、クンダリニーを上げることによって、マインドからの影響力を遮断する。
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●ディクシャの杜ニュース第2号(2006年4月29日発行)

◇◆ディクシャ・アンマ・バガヴァン◇◆(2005年12月インド上級コース)
ディバイン・プレゼンス(アンタリアーミン)を呼び起こせばすぐに体験がやって来ます。今やディバイン・プレゼンスがディクシャを行っていく時代となりました。
ディクシャはどんなときにでも、どんなところでも日常的に生起します。
「あなた方はスペースシャトルの乗客です。あなた方にはスペースシャトルを動かすことはできません。努力をしないで、ただ坐って楽しんで下さい。アンマ・バガヴァンのサンカルパによって、エンジン=グレイス(恩寵)が稼働します」
「自分の好きな神様を選んで下さい。ディバイン・プレゼンスは、個人的な神様です。そしてパドカ=ディバイン・プレゼンスの足跡(ハート)にお祈りして下さい、
『今すぐ、ディパイン・プレゼンスを呼び起こして下さい』と。

▼体験 祭壇の前に坐すと体が消えてゆくようだ。左側から風が吹いているような感じがする。
デバイン・プレゼンスは、光、愛、喜び、笑い、静けさ、平安、気持ちよさ、また怒りとしてもやって来ます。デバイン・プレゼンスはあなた方の望む形で、あなた方を快適にさせるように体験の形態を選んでやって来ます。デバイン・プレゼンスは個人的なものであり、ひとり一人がレゼンスの現われです。
▼体験 薬師佛が左肩付近に雲に乗って出現。「久しぶり」と声を掛けたが、返事はなし。役行者、ハヌマーンもその下に出現。胸中に招き入れようとしたが、何の反応もなく、ピクリとも微動だにしない。
集団として、集合としてディバイン・プレゼンスに祈って下さい。ディバイン・プレゼンスは集団のなかでよりパワフルに働きます。ですから、個人的に(体験がないからと言って)心配することはありません。例えば、集団で飛んでいる鳥がそのいい例です。すべては依存しあっており、そこには分離感はありません。巷では、キリスト、マイトレーヤ、イマーム、カルキなどの再臨が叫ばれていますが、再臨は個人としてではなく、集団としてやってきます。それが今日の特徴です。個人としての再臨は、序章にすぎません。

◆ナラヤナのマントラ◆
数百年前の話である。ラマヌージャという一人の若者があるうわさを聞いた。
「一つの強力なマントラがあり、ナラヤナとひとつになれる」
ラマヌージャはグルのもとへ通った。
「お前はまだ準備が出来ていないから教えることはできない。準備が出来たら来なさい」
ラマヌージャは何回も通った。その都度また来なさいといわれた。十八回目に通ったとき、グルは川の土手に坐っていた。
それでは教えようとラマヌージャにマントラを教えた。ラマヌージャはとても高い意識状態に達し、神との一体感を感じた。
グルはラマヌージャに対して、決して他人に教えてはならない、教えたら地獄に堕ちるぞと脅かした。
ラマヌージャは急いで帰って村の寺院の高い塔に登って大声でそのマントラを唱えた。村人達は高い意識状態に達し、神との一体感を果たした。
グルは、ラマヌージャに言った。「あなたが私のグルです」。ラマヌージャからグルはディクシャを受けた。
デバイン・プレゼンスはあらゆる事象を己自身のこととして見ていますから、ジャッジはできません。デバイン・プレゼンスは己自身を助けているのであって、皆さんを助けているのではありません。
プロセスひとつ一つをナラといいます。プロセス全体を集めたものをナラヤナといいます。ちょうどあなた方は細胞で、ディバイン・プレゼンスはからだなのです。また、インターネットと個々のパソコンのようなものです。
【金色の神様を大きくイメージしてください。そして胎内に入ってください】

▼体験 腹部がロボットのように開いており、その中に入っていった。次にバヴァガバンをイメージしたら、同じように腹部がロボットのように開いており、その中に入っていった。その後、登れるように鉄の太いパイプがそれらの腹部に出現した。
「今までは外側から体験がやって来ましたが、今回は内側から来ました」(Aさん・男性)
すべてのものは川のように流れています。ただやって来ては去って行くだけです。
ただ出来事が起きているだけです。そこには何もありません。
ものごとを理解しようとする、永遠なるものに到達しようとする、体験に意味を附そうとする、良い状態(体験)のみを追い求めようとする、ことをしてはいけません。
心に葛藤が起きるだけです。自分との闘いをやめたとき、平和が訪れるのです。

◆自由になった話◆
あるガイドは、体験が起きるのを長いこと辛抱強く待っていた。
しかし、何も起きらなかった。彼は絶望していた。やがてバヴァガバンが姿を現して、彼の前でキャンバスに絵を描き始めた。彼はいい状態になっていった。バヴァガバンは、絵を描き終えると、その絵を破ってしまった。そして別な絵をキャンバスに描いた。彼はいい状態になった。
また、描いた絵を破ってしまった。その度に彼の状態は落ちていった。バヴァガバンは、描いては破るということを何回も繰り返した。ガイドは、今度こそいい状態に成れると思って最後の絵を見ていた。ところが、バヴァガバンはまた破って捨ててしまった。

◆ディバイン・プレゼンスの属性◆
▽わたしはあなたの怒りが大好きです。
ボンベイで開かれた三日間のコースでの出来事である。
父母と息子がコースに参加した。息子は「自分は体験が何もない。自分は神に愛されていない」とぼやいていた。会場に戻ると、椅子に何かが書いてあるのを発見した。
「あなたは大切な人です」と書かれていた。早速、ディパイン・プレゼンスに対して祈り始めた。すると、またいつものように怒りがやって来た。
「わたしはあなたの怒りが大好きです」という内側からの声が聞こえた。そしてものすごい喜びがやってきた。
▽クリシュナに帰依した女性
北インドのワナカ(クリシュナの生誕地)に住んでいる一人の女性がクリシュナに帰依していた。毎日クリシュナの像と話をするのが日課だった。身の回りの些細なことから宇宙大のことまで何でも話していた。
ある日寺院に出かけると、お祭りの真っ最中であった。大勢の人が参詣しており、クリシュナの像が全然見えなかった。ようやく背伸びをしてクリシュナの像を見ることができた。
彼女はクリシュナの像に語りかけた。
「あなたに、愛していると言ってもらったことは一度もありません」と微笑みながら言った。そしていつものように静かに目を閉じた。すると、別の女性がやって来て貴女のことが大好きですといわれ、彼女はショックを受けた。
▽究極のワラ・ディクシャ
すべてを与えるのを義務であると思っている王様がいた。求められるものをそのまま民に与えていた。
ある時、年輩の女性がこう言った。
「私はあなたが欲しいのです」。
▽穴の空いた紙
バヴァガバンが数年前私たちに穴の空いた紙を見せてくれたことがあった。
バヴァガバン「何が見えますか」
ダサジー一同「紙に穴が空いているのが見えます」
バヴァガバン「皆さんは穴だけを見ています。紙があるから穴を見ることができるのです」

◆体験はそれぞれ違うという話◆
みんなが笑っているのに、自分には笑いが来ないからと言って少しも悲観すること
ではありません。プロセスが進んでいないということではありません。
ラマナ・マハリシは、沈黙として、ラーマ・クリシュナは、アンマ(母)として神
を体験しました。彼らは笑ってはいませんでした。

☆☆ディクシャ点描☆☆

*テーマ(ワーク)通りにはエネルギーは来ないというお話
パラディクシャでテーマ(ワーク)通りのディクシャのエネルギーがいつも来るとは限りません。その人に合ったエネルギーを送ってきます。
例えば、アカシック・レコードの書き換え(誕生時の神との古い契約を破棄し、新しい契約を交わす)を行っていても、浄化のエネルギーがやって来て肉体的変調を来す場合があります(浄化もアカシック・レコードの書き換えと遠からずと言えばそうですが)。
*浄化に始まり、浄化に終わるというお話
ディクシャは、浄化に始まり、浄化に終わります。
肉体を空(エンプティ)にして、ハイアービーイングを降ろすことも浄化なくしては始まりません。浄化は、まず内側のブロックを外すことに尽きます。内側のブロックの大半は殆ど親子関係、家族関係に因があります。コレが破砕されない限り、果てしなき因果の永久運動が続きます。浄化はいつもあなたをヨイショしてはくれません。
赤ん坊のようにはかわいがってはくれません。逆に、時にはどす黒く陰謀的に重い病態としてやって来たり、、また龍のように真っ赤な火を吹いて直接襲ってきます。映画のシーンを見るが如く、とくとご覧なされ。
*見るというお話
マインドはアジュナー・チャクラからやって来て、後頭部のビンドゥ・チャクラから逃げていきます。こうして、マインドは来る日も来る日も円環運動を繰り返しています。
ところで、ビンドゥ・チャクラを塞いでマインドの尻尾を掴んだらどうなるのでしょうか。脳内であえなく憤死するのでしょうか。試してみてください。
マインドは、ちょうど漫画の吹き出しのようです。ここでは人物と吹き出しは物理的に分離しております。マインド、ジャッジその他の想念がやって来たら、吹き出しだと思えばいいのです。吹き出しは、次々と展開するストーリーによってその内容が転変します。しかし、吹き出しを操っているのは同一人物です。

 

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